5月人形といえば、男の子が将来勇壮でたくましく育ってほしいという思いから、両親や祖父母から贈られるものです。
そして、もっと具体的に言えば「あの武者のような強い子に」「あの武将のように万民に愛される人物に」といった願いを込められます。
歴史好きな親御さんであれば、自分の贔屓にしている武将のもの!といった方もいらっしゃることでしょう。
武将にとって大切な兜、5月人形に選ぶときの参考にしてみて下さいね。
武将の兜の意味
ただ、鎧兜というのは、現在であっても、「伝、○○着用」というものが残るのに過ぎません。
当時の絵師が書いた絵などでしか、その造形や特徴は残せていないですし、しかも有名な武将のものとして、伝承されていた情報があったとしても、生涯同じものを着用したとも思えませんよね。
そりゃそうですね。
遠征ともなればサラリーマンが何ヶ月も出張するようなものです。
戦いでもあれば壊れてしまったり、戦乱の中でなくしてしまったりもありますよね。
風呂だって毎日入れるわけではないでしょう。
使用限界を超えてしまうことはあるはずです。
さらに、友好のしるしや服従の意味を込めて、交換したり献上したりします。
兜はインパクトが必要?
誰のが誰の?その人のはどれ?なんてことはよくあります。
有名所では徳川家康の鎧とされるモチーフですら、若者時代、そして壮年期、大御所期、それぞれ当たり前のように変わって描かれます。
そうなってくると、やっぱり印象的だったり、一番かっこよかったり、絢爛なこしらえのものが選ばれます。
ひと目で、その武将を誰もにイメージさせられるインパクトが必要になるのです。
鎧兜に特に興味のない方にとっては、それぞれのどこが、どんなふうに違うのかなんて、あんまりわかりませんよね。
それは実際の現場、戦場においても同じことなんです。
だって数千とか数万人とかの中で、どいつが大将なのかなんて分かるわけがないのですから。
だいたいは、同じような似たような甲冑ですし、ましてや敵将の顔を知ってるわけでもありません。
だって、他国の足軽が相手の殿様に合う機会なんてそもそもあるわけないですし。
だから、目立つ工夫をしないといけなかったのです。
味方がたの殿様が健在で、しっかり指示を出してくれていること。
5000人の軍団の中に自分がいるとしましょう。
軽く、大きめの高校の全校生徒くらいの中です。
みんな同じような出で立ちですから、大将がどこにいるのかもよくわからないです。
となると、健在をアピールしてもらわないと、味方の中にどんどん不安が伝わるのは目に見えてますよね?
もし、自分たちだけが生き残っているけど、もうすでに負けてしまっていることを知らされてなかったら?無駄死ににもなるでしょう。
そして向こうは押せ押せムードです…だから、大将には目立っていただかないといけないんです。
でも、当然、目立しすぎなのも考えものではありますよね?
顔をお互いに知ってるわけでもありませんしgoogleの画像検索で顔写真が出てくる時代でもないのです。
つまり、敵にとっては一番目立ってる奴が相手方の大将、倒すべきゴールになるわけです。
そこで、誰よりも目立っていて偉そうな大将は、当然相手の最優先攻撃対象になります。
それ以外の雑兵には目もくれず、本気でそこだけを狙って総攻撃してくるわけなんですからね。
戦場での過度な目立ち度は、それだけリスクを背負うということでもあるのです。
武将の兜、前立てのリスク
目立たないといけないけど、目立ちすぎてもいけない。
そこで考えられたのが、鎧兜で個人をもっとも特徴づける、前立てというおしゃれアクセ的なパーツなんです。
兜の前についてて、特徴的な見た目のものであり、その武将の好みや信念、または縁起を担いで…などなど、様々な造形のものが存在しますね。
「クワガタ」とも言われます。
オーソドックスなものではU字とかV字のような、ピカピカしたアレです。
あれによって自分の存在や威厳、そして威勢を敵味方に知らしめ、「我、此処にあり!」と現場ではアピールしていたのです。
実際のところ、専門家や愛好家じゃない多くの方は鎧を見ただけではそれがどの武将のものかなんて、そうそう当てることはできないでしょう。
いわば、名札のついていない制服を見せられても、学校や会社こそわかれども誰のものかなんてわからないのです。
さらに、先にも申し上げたように年代ごとに誰の鎧がどんな形であるかを知ることもできないでしょうし、同一の形状のものや、既製品だって多くあるはずなのですから。
その目立つモノ、兜の装飾は取り外し式
諸説あるとは思いますが、そういった装飾色の強い前立てなるパーツは取外しが可能で、スピーディーに自分の存在を目立たなくすることも可能だったそうですよ。
時代劇や大河では、そのメインキャストにフォーカスを当てなくてはなりませんから、そのままの姿で乱戦に突入するシーンしかありませんが…
まず、どう考えてもああいった仰々しいものは戦場で刀や槍を振り回すことを考えても、まず邪魔でしょうがないでしょう。
人より数倍の身動き的なハンデを背負ってまで、一番やられてはならない自分という存在を命のやりとりという戦場に投入するなんて…リスクマネージメントという観点からではありえないのです。
もちろん、劣勢となり逃げる際には外すのも当然でしょう。
追撃してくる相手にわざわざアピールすることなく的を絞らせない、なんなら側近が身代わりになって時間をかせぐ間に大将を逃がすということだって当然あるのです。
証拠に、当時は首実検なるものもありました。
互いに顔も知らない時代です。
敵方の捕虜に、相手の主人に間違いないかと、顔を確認させる儀式的なものもあったのです。
それでも威厳と、その個人をアピールするために必要だったもの。
誰が見ても「ああ、あれは誰それだな」そうわからしめるために必要だった、唯一他の大勢と違う便利なものが前立て。
味方を鼓舞するときには必要で、命の危険がせまるほどヤバくなったら外して、一兵卒に紛れることもできるものだったのです。
本来なら、どこの誰の兜の前立ては、どんな形のものか、なんてことは秘匿すべき機密事項にも思えてはくるのですが、やはりそこは武士だからなんでしょうね。
いつ命を落とすかわからない戦国時代で、のし上がるためにはそれなりの度胸が必要とされたのでしょう。
そして、それによってでしか、武功も名声も得られなかったのだと思います。
5月人形の兜、武将は直江兼続がいい?
そして、直江兼続の兜は近年でも非常に人気ですね。「愛」されてます。
今回は、誰が見ても「ああ、あの人の」というもので、直江兼続のものをピックアップしてみたいと思います。
ずばり愛です。
オトコを見せ、勇猛果敢に戦う戦場に、なぜそんな柔らかくファンタジックなワードを選んだのでしょうか?
ご存知の方もいるかもしれませんが、愛だの恋だのの愛ではなく、悪鬼から仏法を守る、愛染明王から取った愛であったり、愛宕大権現に戦勝祈願したから験を担いだゆえの愛、ともいわれています。
戦国時代、それも生き死にをかけた愛だの恋だの言ってる余裕なんてあるわけ無いですし、そんな人が尊敬されるノリであるわけもありません。
そして、直江兼続の主人といえば、越後の竜、軍神と呼ばれた上杉謙信です。
天地人という大河ではあのGacktが演じており、実際の上杉謙信自体もかなり謎が多くミステリアスな人物だったため、はまり役といわれました。(女性だった説まであります!)
その主人は闘いの神である毘沙門天を信仰していたため、「毘」の字を旗印にしておりました。そのオマージュとして、直江兼続は「愛」の字にしたのでは、とも言われます。
ただし、直江兼続という人物にこそ「愛」という文字がよく似合うエピソードはたくさんあります。
5月人形として飾られるのは子供がその武将のような人物になってほしいという願いからですよね。
そこには直江兼続が持ち合わせていた人としての魅力が、後世の人たちの心を揺さぶるほどすさまじいものだったからなのは間違いありません。
今や男の子の名前にも、愛という字がつかわれるのもそこまで珍しくなくなってきており、「一文字入ってるからちょうどいい」という選び方をする方も、もしかしたらいるかもしれません。
でも、彼のことを知れば知るほど、直江兼続の甲冑を送りたくなるはずですよ。
直江兼続ってどんな人?
その前に直江山城守兼続について知る必要があります
直江兼続という人物は、身長も高く容姿も端麗、そしてとにかく頭がよく作詩においても抜群のセンスをもつ風流人…もはやパーフェクトな存在。
それでいてその明晰な知能をフルに使って、国のこと民のことを大切に考えました。
政治の面でも様々な政策をたて、公共事業も積極的に行い、越後の国を豊かにしたといわれます。
新潟県の上越市には直江津という立派な港がありますし、その後上杉家が山形県の米沢に転封(いわゆるお国替え)になった後は、たびたび氾濫を起こし田畑に水害を及ぼす最上川を治めるために3キロにわたり巨石を並べて作った「直江石堤」というもので民を救いました。
さらに、この米沢は当時まだまだ未開な土地であったため、開拓し田畑を広げ、様々な産業を改革させ、のちの発展の礎を作ったといわれています。
何より自国愛にあふれ豊かにし、民の生活を愛をもって守る。
一生を通じてその身をささげた彼にはこの「愛」の字はピッタリなのかもしれません。
自国民への愛、主家である上杉家への愛。
直江状って何?
直江さんといえば、「直江状」という言葉があります。
聞いたことがある方もあるのではないでしょうか?
これは、ある武将が上杉家はなんか行動が怪しいと、当時の豊臣中枢部にタレコミしたことにより、その本意はどうなのか?と詰問し、とにかく主である上杉景勝に、京都までちょっと出てきて説明しろと言ってきた内容でした。
(とはいえ、秀吉もなくなり、まだまだ盤石じゃなかった中央政権に対し、しっかりと服従の意思を示せ、という威厳をまもるための暗のプレッシャーなのですが)
それに対し、上杉家では当主ではなく、家老の直江兼続が中央に返事を返します。
その内容は後世の誇張ではという諸説もありますが、概ねはこうです。
・まず、上杉家にはそんなつもりは毛頭ない。
・米沢に中央の命令で最近来たばかりというのに京都まで行けという、一体いつ国を治めればいいのか?
・あと知らないかもしれないけど、ここ雪国ですよ?出れると思ってますか?
・道を作ったり動きが不穏と言われるが、道がないから発展しないこの土地を豊かにするのが不審なのか?よくその土地を治めよといったのはそちらでは?本気で怪しいことを考えるなら、もっと戦に向いた道を作っている。
・まずはこんな時代、こちらの状況もわからず好き勝手自分の株をあげようと必死なアホも出てくるのはわかる。
・そういうのは本当に愚かな行為だと我々は思っている。
・どこかのアホが言っていることを鵜呑みにされているようだが、その者が言っていることが本当なのかをまず確認することが中央の仕事では?
十数条になるという直江状ですが、簡単にまとめるとざっとそんな内容なのです。
少しでも自国や主君にいちゃもんをつけられたら、徹底的にそれらを論破し、ぐうの音もでない切り口でやり込める。
しかもそれがまだ不安定な世の中に生きる人々にとって、中央がどんな反応をするのかまで見越したような答弁なのです。
今の社会でも、「直江状を叩きつけた」などの例えがありますね。
こういった行動は、上杉家のプライドを守るのみならず、周囲に「さすが!」と思わせることになります。
なにより、見ていて痛快なのは世間であり庶民たちですね。
上杉家の人気すら上げてしまう、凄腕の切れ者っぷりを発揮したのです。
まとめ
なんだかんだと歴史の話ばかりになってしまいましたが、今回は直江兼続に焦点を当てて見ました。
愛という兜は目立ちますが、なんとなくでも意味を知れば、愛着が湧くのではないでしょうか?
武将選んで兜を決める参考になると幸いです。
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